フーテンの科学寅さんの第2ブログです。
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フーテンの科学寅さんのヒミツの予定表です。
 a_ilst003.gifでも、優先順位は、科学実験教室ができることですから、ご相談ください。
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2009.07.23.Thu

たいへんご無沙汰をしたしました。
再び、好奇心魔法学校を書き続けていきたいと思います。

こちらのブログは、フーテンの科学寅さんの楽天日記の
学術?バージョンだと思ってください。

仮説実験授業では、「はずれる喜び」というのを大切にしています。

今も、PTAの役員さんと打ち合わせしてきたのですが、

思いっきり、お父さんお母さんが、間違って欲しいと思います。

そして、間違う楽しさ、はずれる喜びを体感して欲しい。



そうじゃなくちゃ、子どもに、

「間違って良かったね」

と、心から言えないから。

人はどんなときに楽しいと思うのでしょうか。

人が感じる楽しさとか、面白さというのはどんなことなのでしょうか。

楽しいと思うことを続けながら、

人生を充実させていくにはどうすれば良いのでしょうか。



ゲームをしているとき、

遊んでいるとき

とても楽しく、面白いのはなぜでしょう?


楽しいと思うのは、いつも勝つからでしょうか?

いや、そうじゃなくて、勝つか負けるかわからないからですね。

だから、みんなで熱中してやれるのです。



ゲームは、勝ってばかりでもつまらないし、

もちろん、負けてばかりではつまらないです。


ゲームや遊びで楽しく熱中できるためには、

どうなるかわからないというワクワク、ドキドキ感が大切です。



そのハラハラ・ドキドキの中で、

自分が少しずつレベルアップしているんだ、となれば、

もっともっと楽しくなります。



特に、科学実験の場合は、

世界を見るための新しい視点を獲得できるんですから、

今まで、知らなかった世界が、だんだんと見えてくるようになるのです。

魔法や、資金力で、変な世界へ連れていかれるのとは違います。


今まで、なにげなく使っていた、日常用具を通して、

自然の法則性を知るのです。





人間の知的好奇心というのは、強力です。

知りたい気持ちが人を動かします。

人は、あまのじゃくで、何かを押し付けられると

やる気が急になくなります。



しかし、よく、子どもにやる手ですが、

チラっとだけ見せて、サッと目の前から取上げて隠してしまうと、

途端に、それを知りたい! 欲しい! 教えて!

になります。

でも、謎がすぐ解けてしまっては、興味も無くなります。

興味・関心を持ち続けてもらうには、

謎が、あり続けなければならないのです。



答えは、すぐに見つかってしまってはいけないのです。

関心を持ち続けさせるためには、答えはスグには見つからず、

さらに面白そうなことが出てくることが大切です。


新しいこと、謎めいたことがまるで物語のように次々と沸き起こる授業こそが

私の目標です。

それでこそ、子どもは興味を持ち続けることができるのだと思います。






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2008.06.09.Mon

しばらく、お休みをしてしまい、申し訳ありません。
明日から、科学実験教室が続きます。
実験に添えて、お母さん方に伝えたいことです。
(箇条書きなのをお許しください。)
(異論・反論いっぱいあると思います。大歓迎いたします。)

子どもたちの学習意欲の低下が叫ばれています。
しかし、子どもたちは、人に言われて、学習意欲を湧かすことはありません。
そこで大人は、アメとムチを使いますが、それは、後で大きな後遺症を残します。
かえって学習意欲を根っこから殺してしまうでしょう。

子どもが目を輝かせて取り組んでいる姿を見たことがあるでしょう。
切り口を変えれば、多くの課題が、ワクワク・ドキドキになります。
アートやスポーツに熱中する目も、科学や学問を楽しむ目も、根っこは同じです。

まず、大人が常識を変えてください。

○ 学習や研究が、ゲームよりも、「楽しい」ことを大人が体験し、実感してください。
  大人が楽しそうにしていることには、必ず子どもは、食いついてきます。
   ただし、学習が楽しくなるには条件があります。それは「自由」です。
    ・ 発言・発想の自由があること。(これが日本の社会に欠けています。)
    ・ やりたいことだけやれること。学びたくないことは学ばない自由があること。

○ 程度が低いから落ちこぼれる!  やさしい問題ばかり与えるから、やる気が起きないのです。
  もっと、ワクワク・ドキドキの「こういう勉強をしたかった!」という
  現代人にとって歯ごたえのある問題を与えてやってください。
  たとえ、今、子どもが理解できなくても、楽しいことにトライした、という記憶だけ  でいいのです。次につながっていきます。

○ うんと基礎的なことは、先生たちも知らない。
  大人がみんな答えを知っている必要はありません。
  お父さん・お母さん・そして先生までが、「わからない」ということをアピールし
  一緒に謎に挑戦してみましょう。
  本当の学力をもっている人こそ、知らないことがいっぱいなのです。
  実は、現代の最先端科学でも、わからないことだらけなのです。
  本当の基礎の基礎さえ、わかっていません。
  だから、この世のことは、わかっているというスタンスは、百害あって一利無しです。

○ ヒネクレ者がいなければ進歩は止まる。
  ヒネクレた質問や、会話を面白がる、おおらかな雰囲気をつくりましょう。

○ 「間違えるから楽しい」  間違えることを楽しみましょう。自分のアタマを働かせるからこそ、間違えるのです。
  間違えたら、ほめてやりましょう。ロボットは間違えません。
  ちょっとやそっと、教えても、子どもの「主体性」は簡単にはつぶせません。
  すぐに言うことをきかない、子どもの「主体性」をほめてやりましょう。
  教えてはいけません。子どもに判断させ、実験や検証をさせましょう。
  教えたって、身につきません。

○ 「難しいことと、易しいこと、どちらを先に教えるか」
  多くの場合、最初に、刺激的で難しい問題にあたった方が、やる気が湧きます。
  わかりやすい問題をやっても、自信はつきません。
  従来の易しいことから難易度を上げるカリキュラムは、人間のやる気の原則に反して  います。

○ 興味(好奇心)がなければ認識できない。
  好奇心はどんなときに起こるでしょう。
  認識のズレを発見し、「いづい」状態のときです。謎があるからこそ、好奇心が生ま  れるのです。
  この好奇心が無ければ、見れども見えずの状態になります。
  学力とは、いかに多くの好奇心=「謎」をもつか、です。
  わからないことバンザイです。

○ 簡単に分からせる教育は、子どもの好奇心を殺し、学力を殺します。
  問題のなげかけ方によって、謎もいっぱい湧いてくるのです。
  興味も湧いてくるのです。    
「ありのままの観察」はありえない。認識のバイアスがかかっています。
  謎を呼び起こすバイアスをかけてやりましょう。
 
○ 教科書を読んで、「わかる」方がおかしいのです。 
  教科書の記述も論理の穴がいっぱいなのです。
  簡単に納得しない子を育てましょう。
  「みんながわかっても、ボクだけは、わからない」子こそ、日本の明日を支えます。


2008.04.13.Sun






大勢の子どもを相手に実験授業をさせてもらっています。
学校の強制力の効かない
異年齢で、しかもはじめて集まったばかりの子を惹きつけるのは、
腕が本当に試されるところです。
 

「はーい、こっちを向いて」「お話しやめて」「静かに!!!」
いくら叫んでも、ムダです。

たとえ、強制的に静かにできたところで、
子どもたちは、机に顔を伏せたり、隠しもってきたゲームを始めたり。


私は、無理に静かにさせません。(状況にもよりますが)
司会者にガヤガヤしたままで、
挨拶なしで私に登場させてください。と頼みます。


そして、とっておきの面白いネタを、
最初に波長の合った子とだけで、始めちゃうんです。


子どもは、すばらしい探知能力をもっているんです。
面白そうなことが今、起きているということに。
密の在処を嗅ぎ分けるミツバチのようです。

ワーッとみ~んな寄ってきて、押し合いへし合いになります。


そこで、はじめて、みんなに語りかけます。
「みんなもやってみたい?」「そう、それなら、みんなできるようにするから、
一度席についてね」
もう、こっちのペースです。


授業中も、一人の子と深く語り合います。
本人も気づかなかった心の内を引き出すように。

すると、他の子どもたちも、自分の気持ちが引き出されているように、
共感を受けるのでしょう。集中力を増してくれるのです。


とにかく、論理ではない、子どもの気持ちの先と揺れを読めるかどうかにかかっています。

そのためには、「こうあらねばならない」を心から取り去って、
子どもの気持ちの流れを無条件で褒め称えるべきだと思います。
倫理的にはどうであれ、気持ちは受け入れるのです。
それでこそ、信頼関係が生まれます。


信頼関係こそが、子どものホンネを引き出し、深い交流をもてる絶対条件です。

短時間に全員とは無理です。一人でいいのです。
その様子を見て、「この先生は話せる」とわかれば、
他の子も、心を開いてくれるのです。

心が開けば、そこにこちらの意図することを入れてあげることは、容易です。

それでも、歩き回る子はいます。
そういう子は、言っても仕方がないのですから、放っておいて、
誰かに危険だけないように見守ってもらっておきます。
ただ、そういう子も、別な事をしながらも、すごい聞き耳を立てているのです。
自分も参加できる場面になると、
すっと戻ってきます。
そのときのために、戻ってこれる条件だけは残しておいてあげなければなりません。

全然、混じらなかった子が、後から、授業の内容について、鋭いコメントをくれたりすることがあります。

要は、子どもは、(少なくとも小学生は)アタマでは行動しない生物なんだ、
ということです。
理屈で統制できないのです。
そうではなく、感情・意欲そのものを提示して、それに注目させるのです。

これは、手段としても有効ですが、実は、それ以上に、この時期の教育の目的とも一致しています。
小学時代は、感情・意欲を働かせる脳みそを育成する期間だからです。
十分に感情をトレーニングしてやらなければいけません。


我が子を本好きに育てるのも、同じ手段を使っています。
子どもに呼びかけられたとき、わざと、
「もうちょっと待って、ここだけ読んだら行くから」と、
本を夢中になってよんでいる姿を見せ、
そして、読みかけの本をその辺に置いておくのです。
いつか、必ず、食いついてきます。

夫婦で新聞記事を前に、いろいろ話し合う姿を見せるっていうのも、
とっても効きますよ。



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