フーテンの科学寅さんの第2ブログです。
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フーテンの科学寅さんのヒミツの予定表です。
 a_ilst003.gifでも、優先順位は、科学実験教室ができることですから、ご相談ください。
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2008.05.02.Fri

先日のNHK 「プロフェッショナル 仕事の流儀」で

脳科学者の茂木健一郎さんが、
「人を育てるには、ほめのアスリートにならなくては、」
と言っていました。
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茂木さんは学生が発表している時、
いい発言があると、その瞬間にほめます。

それが学生たちを育てることにつながると茂木は考えています。
快感や喜びに関係のある物質ドーパミンは、
褒められたときやうれしいときに多く放出されます。

そして、ドーパミンが多くでた時、
その直前にしていた行動を繰り返したくなる事が実験で判っています。
そのため、学生がいい発言をした瞬間を逃さずに褒める事が大切なのです。

この方法は子どもにも通用する方法だと茂木さんは、言っていました。
ただ、瞬間的に褒めるには、相手の事をよく見る必要があります。
その事も、子どもには良いメッセージとして伝わるのでしょう。


学生や、普通教室の子どもは、もちろんなんですが、
科学寅さんは、特別支援教室の障害児こそ、
ことのほか、ほめられること、叱られること、
に敏感に反応すると感じています。

何事も、ダイレクトなんですから。

「幸せ脳」の本下記にも書いてありますが

「幸せ脳」は自分でつくる―脳は死ぬまで成長する (講談社プラスアルファ新書)「幸せ脳」は自分でつくる―脳は死ぬまで成長する (講談社プラスアルファ新書)
(2003/09)
久恒 辰博

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人はうれしかったり、感動したりすると、
脳の神経回路がグングン成長し、
逆に落ち込むと、回路が消滅してしまうようにできています。
脳のニューロン回路を作る意味からも、子どもは幸せであらねばならないのです。


障害をもっている子にこそ、
特にほめて気分を良くして誘導する必要があります。
逆にそこにこそ、彼らの能力の無限の可能性が潜んでいると、
私は思います。
普通の子以上にドンドン進んでいっちゃうんですから。
限界を知らないんです。


☆☆ と・こ・ろ・が ☆☆

障害児への教育現場では、
逆の場合が多いのではないでしょうか?

気分を害させ、
落ち込むように、
投げやりになるようにと、みんなで引っ張っていませんか?

もしそうなら、これは悪意ではないものの、
立派な人権侵害の一種です。


もちろん、すぐれた指導をされているステキな先生はいっぱいおられます。
しかし、特に、普通学級の先生には、
意識も技術も欠けている方が、
残念ながら、ベテランの先生でもいらっしゃるんじゃないでしょうか。


特に注目して欲しいのは、
普通学級の中で、手当のエアポケット・谷間でもがいて苦しんでいる子どもたちです。


指導技術の基本中の基本として、
向山洋一さんが、よく指摘するポイントですが、

子供を動かす法則 (教育新書 41)子供を動かす法則 (教育新書 41)
(1987/11)
向山 洋一

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このような指示は、イジメに近いものがあるのです。

「教科書の28ページを出して、3番をやりなさい」

すると、子どもは、すかさず聞き直します。
「どこをやるの!」
教師は、「今言ったでしょ、ちゃんと聞いていないから分からないんです」と説教が始まる。

短く説教するなら、まだ救われます。長く説教する先生がいます。

ところが、子どもは、ふざけてなんかいないのです!
本当にわからないのです。

人間は何かの行為をする時に、ワーキングメモリー「作業記憶」が脳に入ります。プログラムが組まれるのです。

「教科書を出し」「28ページを開き」「3番をやる」というのは、三つのワーキングメモリーが必要です。

しかし、障害をもった子の中には、「一つ」しかワーキングメモリーが入らない子が多いのです。これはIQとは別です。

だから、先生の指示は、「明確にして」「シンプル」が大切なのです。
「一時に一事」を心がけることが大切です。
そして、一つひとつ確認をし、ほめながら進めていかなくてはなりません。そう!当たり前のことができても、ほめるのです!

例 熊本県 椿原正和 先生の指導

指示1:教科書を出しなさい。出したら「出しました」と言います。

児童:出しました。(早いね。優秀だ!)

指示2:28ページを開けなさい。開けたら「開けました」と言います。

児童:開けました。(すごい!念のため28の数字を抑えてごらんなさい。おとなりと確認してごらんなさい。二人とも同じだったら手をあげなさい)

指示3:問題に1番を指で押さえてごらんなさい。(確認する)そこをノートにやりなさい。

このように一時に一事で授業をすすめています。
指導のステップを小さくして、シャワーのようにほめるのです。

別の先生の話です。
A君は、3年生まで、「全くどうしようもない」という職員室での評価でした。目がつりあがっている。すぐ友達をなぐる。ノート教科書がない。授業中奇声を発する。4年生になってもかけ算ができない。

ところが新しい担任の先生は、こんな指導をしました。

算数の授業のとき、A君のノート・教科書を開いておき、ノートに赤鉛筆で日付をうすく書いておいたのです。授業開始後、即言います。

「日付、ページ数、『大きな数』と書いたら、ノートをもってきましょう」

他の子はキョトンとしている。そんな中、A君が2番目にもって来ます。

「A君2番、早い!!」

大きな数の基本形となる表を写させる。みんなが真剣に写している時、A君の側に行き、そっと赤鉛筆で薄く書きます。一つなぞるごとに短くほめます。それを何回も続けました。

 そして、数値を記入する段階。もちろん、赤鉛筆で薄く書いてあげます。A君は一生懸命にそれをなぞります。一つなぞるごとに、丸をつけてあげます。A君のノートには丸がたくさんついたのです。

授業が終わって、職員室へ向かうため廊下に出ると、「先生…」と呼ぶ声が聞こえます。振り向くとA君がうつむきながら立っています。

赤鉛筆で薄く書くことが、彼の自尊心を傷つけたのかと思い、とっさに私は「ごめんね。赤鉛筆でこたえを書いちゃって」とあやまろうとした。

 しかし、そうではなかったのです。私があやまろうとした瞬間、A君はうつむいた顔を上げ、まっすぐに私を見て言った。

「先生、僕のノートにたくさん丸をつけてくれて…。あ、ありがとうございました!」

あのA君が、深々と、深々と頭を下げた。

3年生まで、できなくて苦しんでいた彼の辛さ、みんなと同じように分かりたいという思い、そして丸をつけてもらった時の喜びの顔が、一瞬のうちに私の頭の中を駆けめぐった。

 次の瞬間、思わず私は彼を抱きしめていた。

それから2ヶ月後、3年生までテストで10点や20点しか取ったことのないA君g、整数のわり算のテストで100点をとった。

テスト返しのとき、「A君、100点!」と言ってテストを返すと、彼は何度も何度も飛び上がって喜んでいた。

☆☆ この話を聞くたびに、私は涙が出ます。
前任の先生にサジを投げられたA君に、頭を下げられるのに、「わずか1時間の算数の授業」で良かったのです。


本当は、この「ほめる」ことを、下記の指導方法と結びつければ、最強ですね。
イメージ・トレーニングで成果をあげる
あくまでも、子どものあるがままを受け入れ、認めることが土台となっています。
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2008.04.26.Sat

人間は理屈で動いているように思いますが、
実は、少し遠くから離れてみると、
すべて、その下の、自分でも気づかない「物語」の通りに
動いていることがわかります。


ですから、その無意識の物語と対話し、
語りかけるのが、最も効果的です。


そのとき、子どもの中の無限の成長力が
種から自然に芽を出させ、葉が伸びるんですね。


種には、説教しても、ダメです。
種には、水を与えれば、自然に芽を出すんです。


その水とは、自分のホンネ・本質に正直になるものです。
ありのままの自分を愛せるもの、とも言えます。


人間は
「ねばならない」
「こうすべきだ」
では、芽が出ないのです。


水を与えれば、人間は、プチっと中から変わってくるんですね。
ひとりでに動き出してくるんです。


成長を促す水とは、
心がワクワクしてきて、心の底から喜びが沸き上がってくるものです。
心もからだも、イキイキしてくるし、
後味もよいものです。


子どもは種です。
そして、成長させていきたいという願いももっています。



日本の子どもたちは、
「こう見られたい私」
「こう見せたい私」
をつくりあげています。

外からの評価の目を、小さいときから意識させています。



これは、化学薬品、化学肥料、農薬です。
副作用が起きます。

「なぜか、イライラ・モヤモヤ・ムカツク!」です。


では、どうしたら、自然農法に返ることができるでしょうか?


その秘訣の一つが、「笑い」だと思います。

それも、他人を笑うのではなく、自分を安心して笑う、笑いです。

人の欠点をあげつらって、バカにして笑うんじゃありません。

自分を笑うことによって、
「ねばならない」という大人の理屈を、吹っ飛ばします。


大人は、子どもを訓練して、子どもが自活できる能力を付けさせようと思います。
親心です。

でも、「訓練されるべき子」として見るのではなく
子どもが生き生きとするような状態を作ってあげれば、
その子の器に合わせて能力は勝手に育つと見ればいいのです。


植物は、人間が訓練して大きくしているのではありません。


そして、自分たちの可能性が広がっていると感じられる時、
子どもたちは生き生きとしてくるのです。


そのためにこそ、
大人は一生懸命に
一人一人の子どもの可能性を感じる努力をする必要があります。

そのために、教育者は、学問的な知識を身につけるのです。

大人に子ども一人一人の可能性を感じ取る力がないと、
子ども達を生き生きとした状態に導くことが出来ないからです。



まず、十分に
「一人の人間として受け止め」、
「一人の人間として関わり」、
「一人の人間として生きる」
ということを大切にしてあげないと。


「子どもの能力を育てる」ということから言えば、
障害があるとか無いとかは関係ありません。


なぜなら、

障害があろうと、なかろうと
子どもたちは自分が成長していくのが喜びなんです。
それが人間としての本能なんです。
ただ、障害がある子と、無い子ではその可能性の内容が違うだけです。


その喜びに触れた教育ができないと、
“アメとムチ”による訓練が必要になるのです。


大人は、「子どもが生き生きとする状態を作る」ことに
専念するのが、何より、安全・安心の道です。

大人の論理で、「まっすぐに」伸ばさせようとすると
必ず後悔する副作用が起きるのです。


日本の学校では、教育する側が
「○○を教えなければならない」と教える内容を固定してしまっています。

すると、その内容についていけない子が出てきます。


子どもの成長に合わせていくと(迎合するという意味ではありません)、
子どもはスクスク育つのに、
大人の都合を出して、いついつまでに、出荷できる作物にしようとすると
子どもは、突然、パニックになります。

また、優秀な成績の子でも、
自分が学んでいるのではなく、
“ついていっている”というだけの
感覚しか持てなくなります。


それは、勉強が自分自身の成長として感じられないということです。


逆に、教師が子どもの成長を手柄話しにしたり、
逆に進歩が見られないことに、罪悪感をもつことも、
傲慢なことです。

子どもの中の、成長しようという物語を信じ、讃えて
子どもとの交流をエンジョイすることが、
すべての出発点です。




2008.04.24.Thu

人間って、理屈で動いていると思います?


スーパーやファッション店での、買い物。

なぜ、その商品を選んだのでしょう?

本当にそれでなければいけなかったでしょうか?


人間は好き嫌いの動物です。

勉強も同じです。
計算が苦手だから、理科系は好きにはなれない、
ということはないのです。


理屈で考えれば、あの店から買った方がいいのに、
なぜかあの店には入りたくない、
入れない、ということがあるでしょう。


 
また、セールスマンから、理屈で説得に説得を重ねられ、
「あなたは、これを買わなければ、絶対に損ですよ」
ともっともな事を言われれば言われるほど、
反発心が生まれるのが、人間。


そして、な~んにも、押し売りしない、
ただ、ニコニコ話しを聞いてくれた人から、
買ってしまうのです。


人の生きる力も、実は、この影の部分を
より豊かなものに育てること。

 
もちろん、社会との適応力をつけるために、
理屈や、損得も育てなければなりません。
しかし、これは、本当の自分と社会との橋渡しが任務であって、
それが主役になると、自分で自分を阻害してしまい、
結局、生きる力も失わせてしまいます。
能力自体を殺してしまいます。



本来、脇役であるべき損得計算が、
いつの間にか、主役の顔をして、
デンと居座ってしまいます。


本当の自分がどんなものだったのか、
わからなくなってしまいます。

 
学校教育は、基本的にエゴを育てるところです。
集団に適応させて、論理で動くのですから。


「いい子」になろうとすればするほど、
エゴを強固なものにしてしまいます。



2008.04.12.Sat






気分屋というと、悪いイメージですが、
「気分」という環境条件はとっても大事なことだと思います。


「やる気の脳」は、そもそもは「快感の神経」といわれるA10神経によって駆動されます。
そして快感と目的意識がセットになり、
互いに相乗効果を生み出しながら、
脳全体の連係プレーをコントロールして、目的を達成していこうとするのです。
 
苦痛を伴う「やる気」は、本来のあるべき姿ではないのです。
何よりも楽しそうなこと、
おもしろそうなこと、
ぜひやってみたい、チャレンジしてみたい、
と強く望むものだけが「やる気の脳」に届くのです。


そして、同じ課題を見ても、「面白そう」と見えるか、
「苦痛な課題」に見えるかは、
そのときの気分によるところが大きいのです。


こどもたちが、休み時間に校庭に飛び出して遊ぶドッジボールにしても、見る角度を変えれば、ボールをぶつけあう、苦行そのものです。
作文や絵も、気分がよければ、どんどんはかどりますが、悪ければ、地獄の時間です。


私が参考にしているのは、デズニーランドの中の何気ない小物です。

60分待ちなど、とんでもない苦行を強いているにも関わらず、行列そのものを楽しみの一つに変えているのは、立っている間に目に留まる小物の数々です。

大きな演出でなくて良いのです。
かえって、ほんの小さな小物の中に込められた、
意外なメッセージに感激を覚えるものです。
小さなものにこそ、オセロゲームのように、
全体の気分を一気に白黒反転させる秘訣があります。

クスっと笑うものがいいですね。
私の家では、トイレに「笑える言葉あそび」の文例を小さく貼っています。

これで、スムーズに出るべきモノも出るというものです。
面白がって、なかなかトイレから出てこないことも。
でも、そのあとの表情は確実に柔らかくなっています。

子どもたちの笑顔の写真も効果大です。
それを見るたびに、子どもたちは(もちろん私も)
楽しかった瞬間をフラッシュバックさせるのです。


人間は思いだしただけで、カラダの反応は、その当時のものになります。
夫婦関係をギリギリで支えるのも、一枚の写真だったりして…。


授業中にも、ほんのちょっとでも、予期せぬ小道具が登場すると、
一気にボルテージが上がります。


パッチアダムスのように、もしもですよ、診察室に入ってお医者さんを見たら、ピエロの鼻をつけていたらどうします? 
どれほど患者さん救われるでしょうか。
雰囲気変わるってもんじゃないですよね。
痛さが一気に吹き飛んでしまいます。




2008.04.11.Fri






ある教え子を、駅まで迎えにいきました。

ちょっと私が遅れたせいか、彼(小4)がいません。
そしたら、KIOSKの中で、
女の子と科学談義をしているではありませんか!

何を話しているのかと聞き耳を立てたら、
先月やった「ころりん」の問題です。
シーチキンの缶とカンコーヒー、
どっちが先に斜面を転がり落ちるか、
という実験の予想です。

彼に聞いたら、はじめて電車で会った子だそうです。
最後に彼女と握手までして別れてました。

いやー、楽しい実験は、ガールハントにも使えるんですね


2008.04.09.Wed







大人になって、振り返ってみて、
教えられた教科書の内容は忘れても、
先生の人柄だけは、しっかり焼き付いていると思います。
そして、そのイメージが子供の人間理解・社会の理解にどれほど大きな影響力をもって、人生を歩ませているかは、
冷静に考えれば、とっても恐ろしいことです。


相手からのメッセージの意味の大半は、
言葉以外から受け取ります。
同じ言葉でも、表情一つで意味は全く逆になります。


こんなエピソードをご存知ですか?
ある劇作家と声優が、レストランで仲間たちと食事中、
観客を感動させるのは、ストーリーか声かで議論を始めたのです。
声優は、ストーリーがさほど面白くなくても、声で観客の心を動かせると主張し、
劇作家はどんな声を出しても、場面や状況がしっかり設定されていなければ、
観客を感動させることはできないと反論しました。

すると、ある声優が
「ここにあるメニューを読むだけで、人を泣かせることもできますよ」と言い出して、
じっさいにメニューの「朗読」を始めたのです。

「サラダ、グリーンサラダ、500円、シーザーサラダ、800円、大根とジャコのシャキシャキサラダ、700円…」といった調子で読み進むと、
何と聞いている人には、本当に涙を流す人まで現れたのです。

朗読に、「深い悲しみ」が含まれていれば、
もしかすると聞き手の過去の思い出、
たとえばレストランでバイトしていた時代のつらい体験記憶を呼び覚ましたのかもしれません。

まして、子供相手でしたら、
声の調子、表情、身振り手振り、瞳の大きさは、
言葉そのものの意味よりも重要です。

その意味でも、ある医学の先生は、
大学の先生よりも、高校の先生、高校よりも中学校、中学校よりも小学校、小学校よりも幼稚園・保育所の保母さんこそが、
高い給料をもらうべきだと主張されています。

いい表現能力を身につけるには、内面の育成管理が欠かせないからです。



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