フーテンの科学寅さんの第2ブログです。
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フーテンの科学寅さんのヒミツの予定表です。
 a_ilst003.gifでも、優先順位は、科学実験教室ができることですから、ご相談ください。
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2008.04.30.Wed

「学習は出力依存性である」 と言います。

しかし、私たちは、「入力」することによって学習していると
しばしば勘違いしていますね。

例えば、 風景をよく覚えようとするなら、
その景色を百回眺めるより
一回スケッチする方がよく覚えられるものです。

IMG_3244nenga.jpg寅さんがいる、醸室の絵です。


出力することによって、脳は自分を変えていくのです。

実は、全ての学問(教育)の基本は
「イメージできる(特に視覚イメージの再現)」ことと 
「イメージ操作(移動変形)できる」ことにあるのです。                 
これは、 脳の学習戦略が出力依存であるためです。


潜在意識を変えるのも
実は、出力することに秘訣があるようです。

潜在意識は、たとえばPCの本体みたいなものです。
それに対して、
モニターにあたるのが、
顕在意識(わたしたちが認識できる意識)です。

top-lm3.gif

PC本体の中身を書き換えるには、
まずモニターで、
私たちの目にみえるかたちにしなければなりません。


そして、モニター画面からデータ入力をすることで、
PC内のデータは書き換えられます。

つまり、PC内のデータを書き換えるには、
PC本体をいくらドライバで開いてみてもダメなのです。

モニターにいったん呼び出してやらないといけない。
PC本体をいくらいじってみても、データは書き換えられないのです。




潜在意識と顕在意識についても、これと同じことがいえます。

潜在意識を書き換えようと思えば、
顕在意識(わたしたちが認識できる意識)上に
書き換えたいデータをまず呼び出してやることが必要です。

そして、データの書き換えを行います。

つまり、ほんの小さなことでもいい、
「アウトプット」をすることで、
私たちのプログラムは、書き換え可能になるのです。




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(2008/02/07)
糸山 泰造

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算数の文章問題で、まず絵を描かせて解くメソッドは
実はこういった
潜在意識の仕組みへの働きかけもあると思います。

脳の目的は、 情報を自分で選ぶこと、
そして選んだ情報を組み合わせ、変形して、
新たな役立つ仕組みを創り出すことです。

仕組みを創造していくことなのです。


人間の脳のコンピューター?は、
絵を頭の中で作ったり、動かして、考えるようにできています。
そうすることによって、最高の力を出せるのです。


このアタマの中のお絵かきに力を、ちょっと使えるように指導してあげれは、
子どもたちは、芸術の力だけではなく、
苦手な計算も、本を読み理解する力も、
あれよあれよ、とパワーアップするのです。


きっと「考える力」がついてきたね、
と先生にほめられることでしょう。

子供に記憶させようと、
いっぱい知識を暗記させるのは、
かえって記憶力を育てません。

アタマの中に絵を描く力を、
丁寧に育んでいった方が、
結果的に、大量の使える知識を身につけさせられるのです。


何より、目で考えることは、楽しくラクなのです。
この方法を子供たちに意識させると
子供達は自力で成長することができるようになります。


この学習は、幼児から指導しても、
早期教育の副作用は、ありません。
なぜなら、目で考えることは誰もが生まれたときから最も頻繁に使っている
最も簡単で効果的な学習方法だからです。


私達は誰もがこの得意技を持って生まれているのです。
産まれたばかりの赤ん坊でも、視覚イメージでの思考を始めているということです。
ですから、言葉を知らなくても「分かる=見える」のです。

学習にこの得意技を使わない手はありません。

(続きます。)

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2008.04.28.Mon

脳の性質から、学校や社会の問題点が見えてきますね。

人が輝いて生きるためには、

人の評価を

出来高評価からプロセス評価にすることです。

SANY0067.jpg

現在の学校教育は、 子供を出来高で評価するために

「問題が与えられたら、 自分ができる問題がどれかをまず見つけ、

易しい問題から始めなさい」

 と繰り返し繰り返し教えます。



この事は、 難しい問題に挑戦するな、

という禁止を覚えさせているようなものです。



この結果、 人は成長するために最も重要な

生きがい感となる夢を探し

それに挑戦しようとせず、

自分が今やれる事だけをこなしていくことで

人生を過ごすことを

脳の仕組みとして身に付けてしまうのです。

 

入れる会社を探して入る、 という傾向になりやすい。

 

夢は、もともと容易に達せられないものです。

そして、この実現に向けて取り組んでいる時、

人は本来幸せ感があるように創造されているようなのに。

SANY0092.jpg

この脳の目的 (脳のこころ) にまったく合わず、

社会の流れに合わせて、

脳の情報処理の仕組みを獲得するのでは、

人は輝かないのです。

人は独自の夢を自分で設定し、

その実現をめざして挑戦し生きることで輝くようにできているのです。

 

 人が輝いて生きる時、それは、燃えて生きるとき。

 

脳は自身で目標を設定できるのです。

脳が目標を自己決定し、

このための情報処理の仕組みを獲得することで人は輝くのです。

 

「人は本性的に怠け者である」

という人の見方を、文科省は、歴史的にとってきました。

だから人間同士を競わせることで

怠けさせないという考えが出ているのです。

4430.jpg
 

しかし、 人は本来燃えて生きたいのです!

燃えて生きる目標が見いだせない時、

怠惰に振る舞うにすぎないのです。

 

この目標を最も欲しがる青年期に、

燃える目標を設定できないと、

脳は情報処理すべき方向性が決定されずに、

フリーラン状態となってしまいます。

 

これは、やる気がおきないだけでなく、

本人もとっても苦しいことなのです。

 

 脳はその目標に挑戦し続けることで、

その解決への仕組みを獲得するのですから、

脳を創る鍵は

このエネルギーを得て挑戦し続けることにあります。


挑戦は、 まずやってみること 、 から始まります。

しかし、 やってみれば、

脳がその事を成す仕組みを

まだ獲得していない場合が多いので

必ずと言っていいほど失敗し挫折します。

 

この時、 このつらく苦しい状況の中で、

それでも、その目標に挑戦するエネルギーは何なのでしょうか?

 


それは、 その人そのものを受容してもらうことじゃないでしょうか?

「あなたが今、何ができる、

何を成したかではなく、

 あなたがあなたであるだけで素晴らしい

と他人から受容され、

あるいは自分で自分を受容することができれば、

脳の活性は上がり

快な感情も得て、

苦しく困難な状況に立ち向かうことができるのです。 

 

次回からは、いよいよ

この脳の挑戦のメカニズムを

学習理論と合わせて考えていきます。



その3にもどる


2008.04.27.Sun


脳の目的は、人の、生きる目的である、 と考れば


人生の目的は、 頂点に立つことではないことがわかります。

苦しくても高きに向かって進んでゆくプロセスにあります。

top1.jpg


山に登る人が 「なぜ山に登るのか」 と尋ねられた時、

「そこに山があるから」 と答えるのは、

 まさに脳の目的に合っています。

 

山に登るのに頂点が必要なのは、

高きに向かって進むための、あくまで目印であって、

頂点に着くことが目的ではないのです。

tozan.jpg
 
それに対し、コンピュータは、 出力することが目的であるので、

出来高でコンピュータが評価されるのは当然です。

sk_supercomputing_04.jpg

しかし、 人は成長するプロセスそのもの に目的があります。

だから

人が「どれだけの能力を今もっているか」、

「過去の実績はどうか」 という出来高で評価することは、

脳本来の目的に合いません。

人を苦しめます。



出来高評価ばかりして、

挑戦して失敗することに

高い評価を与えないとどうなるでしょう?

 

飛躍的に大きな成長はできませんね。

 

人本来の目的が高きに向かって成長することですから、

成長にある プロセス自体が重要 なのであって、

そのプロセスの中に喜びが感じられるよう、

もともと人間はできているんです。

 

たとえ、 ラグビーで120対0で負けても、

それでも一生懸命にタックルに行くとき、

選手たちには一種の幸せがあります。

また、それを観ている私たちもその姿に感動します。

そのように 脳はもともと作られているのです。

 TKY200801080164.jpg


人の幸福は

その人の居る位置 (その人の出来高) ではなく、

高きに向かって進もうと努力するその傾きの度合なのです。


katamuki.jpg

;
この考えからすると

 

その人の位置がむしろ低い方が

かえって、成長の傾きを大きくすることが簡単です。

「こころの貧しい人たちは幸いである」

「悲しんでいる人たちは幸いである」

に通じるかもしれませんね。


だとすると、見えてくる、学校教育の問題点は・・・・・・?

(続く )
その2にもどる
その4へすすむ



2008.04.27.Sun

<脳の目的>

  と コンピュータ は、

共に情報処理システムですから、

よく比較されます。

 

二つは、似ているようで、

実は、その目的から、違うのです。

 

コンピュータの目的は 出力 することです。

そのために、プログラマーが仕組みを作ります。

 

しかし、脳は、違うのです。

脳とコンピュータの情報処理システムは、

目的 と 手段 がちょうど入れ替わっている、

ということなんだそうです。




脳は、情報処理の仕方そのものを

創造し続けること が目的であるのです。



脳の目的は、 情報を自分で 選ぶ こと。

そして選んだ情報を組み合わせ

変形して、新たな役立つ 仕組みを創り出す ことだそうです。



仕組みを創造 していくことなのです。



脳からの出力は、

この目的のための手段であり、

脳の目的そのものではありません。

 

ですから、いろんな表現活動は、

新たな情報処理の仕組みを獲得するための

手段 なのです。



ある意味、脳は、人そのものとも考えれば、

脳の目的 は人の 生きる目的 である、

とも考えられます。

とすると、人の生きる目的は・・・・・・

 

<続きます>


その1へ もどる
その3にすすむ


2008.04.27.Sun

 

愛は脳を活性化する (岩波科学ライブラリー (42))愛は脳を活性化する (岩波科学ライブラリー (42))
(1996/09)
松本 元

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感情と学習の関係でも、とっても、参考になる↑の本の作者

松本 元さんが、別のところでおっしゃてましたが、

<脳と目標設定 > 


大脳の新皮質が成長すると共に、 

人が動物と決定的に違う点は、

人だけが自分の世界の中の目標

を欲しがるということです。

 

動物や青年期より以前の子どもは、

外の世界からの刺激に対して、ざっと情報分析をし、

それに基づき行動を選んで生きています。


しかし、 人は前頭前連合野が異常進化したので、

脳の中の世界が行うべき目標を、

中の世界から設定することになったのです。

 

そして、内的世界の目標は、

外的世界からの目標よりも、

脳のレベルでは、 上位にくるのです。

 

これは、どうしてなのか?

そして、ここに隠れている、

子どもの能力が天と地、

天国と地獄に別れる分かれ道とは、何なのか。

をこれから、まとめていきたいと思います。


その2へすすむ


2008.04.26.Sat

人間は理屈で動いているように思いますが、
実は、少し遠くから離れてみると、
すべて、その下の、自分でも気づかない「物語」の通りに
動いていることがわかります。


ですから、その無意識の物語と対話し、
語りかけるのが、最も効果的です。


そのとき、子どもの中の無限の成長力が
種から自然に芽を出させ、葉が伸びるんですね。


種には、説教しても、ダメです。
種には、水を与えれば、自然に芽を出すんです。


その水とは、自分のホンネ・本質に正直になるものです。
ありのままの自分を愛せるもの、とも言えます。


人間は
「ねばならない」
「こうすべきだ」
では、芽が出ないのです。


水を与えれば、人間は、プチっと中から変わってくるんですね。
ひとりでに動き出してくるんです。


成長を促す水とは、
心がワクワクしてきて、心の底から喜びが沸き上がってくるものです。
心もからだも、イキイキしてくるし、
後味もよいものです。


子どもは種です。
そして、成長させていきたいという願いももっています。



日本の子どもたちは、
「こう見られたい私」
「こう見せたい私」
をつくりあげています。

外からの評価の目を、小さいときから意識させています。



これは、化学薬品、化学肥料、農薬です。
副作用が起きます。

「なぜか、イライラ・モヤモヤ・ムカツク!」です。


では、どうしたら、自然農法に返ることができるでしょうか?


その秘訣の一つが、「笑い」だと思います。

それも、他人を笑うのではなく、自分を安心して笑う、笑いです。

人の欠点をあげつらって、バカにして笑うんじゃありません。

自分を笑うことによって、
「ねばならない」という大人の理屈を、吹っ飛ばします。


大人は、子どもを訓練して、子どもが自活できる能力を付けさせようと思います。
親心です。

でも、「訓練されるべき子」として見るのではなく
子どもが生き生きとするような状態を作ってあげれば、
その子の器に合わせて能力は勝手に育つと見ればいいのです。


植物は、人間が訓練して大きくしているのではありません。


そして、自分たちの可能性が広がっていると感じられる時、
子どもたちは生き生きとしてくるのです。


そのためにこそ、
大人は一生懸命に
一人一人の子どもの可能性を感じる努力をする必要があります。

そのために、教育者は、学問的な知識を身につけるのです。

大人に子ども一人一人の可能性を感じ取る力がないと、
子ども達を生き生きとした状態に導くことが出来ないからです。



まず、十分に
「一人の人間として受け止め」、
「一人の人間として関わり」、
「一人の人間として生きる」
ということを大切にしてあげないと。


「子どもの能力を育てる」ということから言えば、
障害があるとか無いとかは関係ありません。


なぜなら、

障害があろうと、なかろうと
子どもたちは自分が成長していくのが喜びなんです。
それが人間としての本能なんです。
ただ、障害がある子と、無い子ではその可能性の内容が違うだけです。


その喜びに触れた教育ができないと、
“アメとムチ”による訓練が必要になるのです。


大人は、「子どもが生き生きとする状態を作る」ことに
専念するのが、何より、安全・安心の道です。

大人の論理で、「まっすぐに」伸ばさせようとすると
必ず後悔する副作用が起きるのです。


日本の学校では、教育する側が
「○○を教えなければならない」と教える内容を固定してしまっています。

すると、その内容についていけない子が出てきます。


子どもの成長に合わせていくと(迎合するという意味ではありません)、
子どもはスクスク育つのに、
大人の都合を出して、いついつまでに、出荷できる作物にしようとすると
子どもは、突然、パニックになります。

また、優秀な成績の子でも、
自分が学んでいるのではなく、
“ついていっている”というだけの
感覚しか持てなくなります。


それは、勉強が自分自身の成長として感じられないということです。


逆に、教師が子どもの成長を手柄話しにしたり、
逆に進歩が見られないことに、罪悪感をもつことも、
傲慢なことです。

子どもの中の、成長しようという物語を信じ、讃えて
子どもとの交流をエンジョイすることが、
すべての出発点です。




2008.04.24.Thu

「相手の立場に立つ。」

これくらい難しいことはないですね。

もしかして、これこそ、

「人間社会での成功のカギ」

かもしれませんね。



ところで、 「子どものことを思う」、とき

普通は、まだ視点は親の方にあります。


親の考えや世界観から、子どもを見ています。

「子どもはこうあるべきだ」
「ここがわからないんだろう」


しかし、視点を移すというのは、
それとは根本的に違うのです。


子どもは、今、どのように世界を見ているだろう

と想像します。


まず、視線の高さ が違いますね。

記憶している情報量が違いますね。

関心の対象が違います。

実は、時間の流れ自体も違うのです。


みんな「ベテラン子ども」のはずですが、
自分の中でさえ、大人の私が子どもの私を見ているんですね。



かえって、大人が大人を分析する方が簡単なくらいです。
そして、その簡単な大人の視点を手に入れるために、
企業では、何千万円も出して、
マーケット・リサーチをしているのですよ。

だから、子どもの視点に立つのは、難しいのです。



しかも、子どもは、日々成長しています。
昨日のわが子と今日のわが子は、別人になっています。

安易に、「子どものことは、親がよく知っている」と、
タカをくくっていませんか?




たしかに、とても、たいへんなことです。

たいへんだからこそ、

もし、子どもの視点を得られれば

もう、子どものための有効な指導方法

8割できたも同然です。



2008.04.24.Thu

人間って、理屈で動いていると思います?


スーパーやファッション店での、買い物。

なぜ、その商品を選んだのでしょう?

本当にそれでなければいけなかったでしょうか?


人間は好き嫌いの動物です。

勉強も同じです。
計算が苦手だから、理科系は好きにはなれない、
ということはないのです。


理屈で考えれば、あの店から買った方がいいのに、
なぜかあの店には入りたくない、
入れない、ということがあるでしょう。


 
また、セールスマンから、理屈で説得に説得を重ねられ、
「あなたは、これを買わなければ、絶対に損ですよ」
ともっともな事を言われれば言われるほど、
反発心が生まれるのが、人間。


そして、な~んにも、押し売りしない、
ただ、ニコニコ話しを聞いてくれた人から、
買ってしまうのです。


人の生きる力も、実は、この影の部分を
より豊かなものに育てること。

 
もちろん、社会との適応力をつけるために、
理屈や、損得も育てなければなりません。
しかし、これは、本当の自分と社会との橋渡しが任務であって、
それが主役になると、自分で自分を阻害してしまい、
結局、生きる力も失わせてしまいます。
能力自体を殺してしまいます。



本来、脇役であるべき損得計算が、
いつの間にか、主役の顔をして、
デンと居座ってしまいます。


本当の自分がどんなものだったのか、
わからなくなってしまいます。

 
学校教育は、基本的にエゴを育てるところです。
集団に適応させて、論理で動くのですから。


「いい子」になろうとすればするほど、
エゴを強固なものにしてしまいます。



2008.04.23.Wed

子どもを勉強好きにするために、
大人は悩んでいるんですよね。


世には、様々な説やテクニックがありますが、
なぜか、大人用のアプローチと子ども用のアプローチを
全く分けていませんか?



あんまり良い例えではありませんが、

こう考えてみてはどうでしょう?


お母さんが、店員さんで、お客さんである子どもに、
「勉強」という商品を買わせたいと考えてみましょう。


まず、でっかい看板「勉強ショップ」だけで、お客は来るでしょうか?


しかし、実際には、「勉強しろ」のかけ声だけで、
子どもは勉強するのが当然だ、と思っている人が大勢います。


「看板があるんだから、来て買わないお客が悪いのだ」と言うのです。


これは、昔、よっぽどモノが無く、商品が置いてあるというだけで、
お客が頭を下げて売ってもらった「良き時代?」の妄想。



現代、モノはあふれ、情報もあふれ、楽しみもあり余っています。
勉強してエラクなることが、唯一の正義だった頃とは違うのです。



次に、店員さんは、何を考えるでしょう。
そうです。説得です。
説得の前に、説教になってしまう店員さんもいますが。



説得は、確かに有効な手段です。うまくいけば、すぐに効果が表れます。
なぜ、それを買わなければならないか、をお客にも考えさせます。
これで、すぐに「うん、わかった」と商品を買ってくれればいいのですが、
そう簡単にはいかないですよね。



説得されれば説得されるほど、
人間にはアマノジャクの反発心が働くからです。



そこで、より洗練された、押しつけがましくない、
セールステクニックが開発されます。
AIDMAなどの反応ステップ作戦です。


注意(Attenntion)→興味(Interest)→欲望(Desire)→記憶(Memory)→行動(Action) 



の五つのステップを大切にしていこうという作戦です。



最初は、たとえば「英語」という学びの世界がある、という注意を惹きつける。
次に、「あれ、何だろう?」、「へんなの」「どうしてかな?」と興味を湧かせ、
「やってみたい」という欲望をもたせ、
どうしたら、それができるのかを記憶させ、
行動できる環境へ導くというものです。



これは、有効です。
現代の主力のアプローチでしょう。
もともと、有能なセールスマンや企業は、
これを意識するしないは別として、この段階を踏んでいたと思われます。



しかし、既に、心の中に、
その商品を拒絶するフィルターがいっぱい入っていて、
強固なバリアの場合、「説得」は効果を発揮しません。
ついつい肩に力の入った説得になってしまい、反発をくらってしまいます。



そこで表れたのが、説得をしないで、
なぜかわからないけれど、買ってしまう、
という魔法のような働きかけを目指したアプローチ方法です。



広告やテレビのイメージ宣伝などで使われています。



それを見て、すぐに商品が欲しくなるわけではありません。
広告の内容も、取るに足らないことが多く、
説得されているなんて、全然感じません。



こんな一見、ムダのような広告に、
シビアな企業が、なぜ、大金を出しているのでしょうか?
それは、効果があるからなのですね。



お店でもそうです。
現代のスーパーでは、対面販売で「お母ちゃん安いよ」よりも、
きれいに芸術作品のようにカラフルに陳列してあって、
広々とした通路を、気持ちよい音楽に中で、
まるで、美術館でもみるように、楽しみながら歩きます。
そして、商品を気楽に手に取れるように設定してあります。




決して、店員が売り込みに近づいては、来ません。
本当は、お客を気にしているのですが、
全然気にしていないフリをして、自分の作業を続けています。
その証拠に、ちょっとでも、聞きたいな、というそぶりをお客が見せれば、
優秀な店ならば、すぐにそっと近づいてきて、何気なくアドバイスしてくれます。


 

これらは、「低関与コミュニケーション」と言われ、
マーケティングの世界に重大な影響を及ぼしています。



なぜ、低関与が有効なのでしょう?
それは、お客が、知的な防御フィルターを働かせないからです。
低関与のコマーシャルを何度も受けると、
情報はいつの間にか、長期記憶にインプットされます。



また、その商品に対する位置づけが、
いつの間にか、変わってしまい、
その重要性が認識されてしまっているのです。



これは直接行動に走らせる力ではありません。
しかし、何かの刺激があったとき、
思わずその商品を手に取らせる原動力となっているのです。



このアプローチが、教育界においては、まだまだ、研究の余地があると思うのです。



しかし、説得アプローチも当然のことながら重要です。
様々な切り口から、これから書いてみたいと思います。





2008.04.21.Mon

運動会が近づいています。
un-3.jpg

走るのが苦痛
という子は少なくありませんね。



毎日トレーニングすれば、良いのはわかってます。


下記のサイトでも、運動会で1番になる方法が。
(最新のオーソドックスなトレーニングだと言えるでしょう。)

http://www.ascii.co.jp/pb/ant/undoukai/sample.pdf

運動会で1番になる方法―1ヶ月で足が速くなる股関節活性化ドリル運動会で1番になる方法―1ヶ月で足が速くなる股関節活性化ドリル
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(2007/12/19)
廣戸 聡一

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しかし、苦手な子に続きっこありません。


何とか、あっという間に速くなる方法はないのでしょうか。



それが、あるのです。
2~3年前に、NHKで「子どもも高齢者も必見! かけっこ新健康術」
として放送されたのが、それです。


何せ、ものの20分ほどで、効果があらわれます。
私の教え子で試してみました。
50メートル走で、平均0.2秒の短縮です!

そして、何と、このコツは、「高齢者のつまずき・転倒事故」の予防にもなるのです。

ポイントは、2つ。
「力を無駄にしている」
「カギとなる筋肉を十分使いこなしていない」
でした。


もちろん、10日も続ければ、目に見えて効果が表れます。
1日わずか20分のトレーニングです。


運動会で一番になる。
みんなに認められる。

これは、子どもにとって、どんな高価な宝石にも勝る体験です。

たとえ、1番にならなくても、良い走りができた、という自信は、
一生モノです。


ふつう、行われているトレーニングは、
太ももやお尻の筋肉など、
普段からよく使っている筋肉を鍛えます。

しかし、普段使っている筋肉を短期間でさらに鍛えることは難しい

そこで、普段はあまり意識しない他の筋肉に着目します。


「寝たきり予防と深いつながりのある大腰筋」

大腰筋とは、背骨と大腿(ふともも)の骨を結ぶ筋肉で、
上半身と下半身を結ぶ数少ない貴重な筋肉の一つです。


おもに、足を上げるときに使われます。
そして、速く走ることと寝たきり予防の2つに共通するのは、
体の奥にある「大腰筋(だいようきん)」と呼ばれる筋肉だったのです。


大腰筋を目覚めさせる体操を2つ

スクワット
お尻を後に突き出すようにして体を上下させる。ポイントはひざを体より前に出さないこと。

20061004a.jpg


腰上げ運動

仰向けになった姿勢でももを垂直に上げ、さらにひざを曲げ水平方向に伸ばす。
そしてお腹を丸め、骨盤を引き寄せるようにして腰を上げる。
20061004c.jpg


10回の運動を1セットとして、2つの運動を1日3セット

放送でも、タイムを0.3~0.4秒短縮することができました。


走っている時のフォームを比べてみると、
大腰筋体操の後では、足が高く上がっていました。

さらに、2人とも50メートルの歩数がそれぞれ1歩減りました。
これは、50メートルを走ったときに、
1メートル以上速く走れるようになったこと。



体のブレをなくす練習
回転いすに座って腕を振ると、いすがクルクル回転してしまう人。
肩にブレがある証拠です。
走っているときにも、ブレを矯正するために
足が余分な力を使っている可能性があります。


はじめに、ボールを持ってジャンプをする練習です。
60~70センチの間隔に置いたハードルを、
手にボールを持ったまま両足ジャンプで越えていきます

このとき、体をひねったり肩に力を入れすぎたりしないようにするのがポイント。
両手両足を同時に動かし、手と足を動かすタイミングを身につけます。

これに慣れたら、次はボールなしでハードルを越える練習。
まずは歩いて手足を動かすタイミングを確かめ、
徐々にスピードを上げながらハードルを越えます。
ハードルの間隔を身長と同じぐらいまで広げることが目標。
足と手をテンポ良く動かします。


足で走るな! → 大腰筋活用でスピードUP&転倒防止
筋肉は鍛えるな! → 筋肉を起こして即足速!
陸の上で泳げ!? → 力を抜いてブレ解消!




私は、別の日記でも書きましたが、
とんでもなく、弱虫で、いつもビリで、いじめられてました。

しかし、3年の夏休みに、学研の科学に書いてあった、
垂直跳びを1日、10回続ければ、必ず速くなる、という記事に
藁をもすがる思いで続けて、人生が変わった経験があります。

たった、それだけなのに、3年では、ビリ脱出。
4年で、2位。
5年生で、クラス対抗リレーの選手。
そして6年生で、学校代表リレーの選手。
それも、アンカーに。


子どもにとって、走れることは、
世界が変わるのです。




2008.04.21.Mon





「Science For All Americans」が話題になってますね。

アメリカの底力って、すごいなあ。
いろいろ問題のブッシュさん時代でしたが、
もっと長い期間にわたって、国の力を高めるための、
すごい戦略を立てられるのが、アメリカです。


1980年代から推進中の科学教育改革プログラム"Project2061"というものがあります。


Project 2061は、理系支援NPOのAAASを中心として、
様々な分野の専門家を集め
国ぐるみで作成された一大プロジェクトです。
全アメリカ国民の科学的思考力を増進するための
76ヵ年計画を米国全土で展開するとっても戦略的で具体的なプランです。



Project 2061ではまず、Science for All Americansという報告をまとめ、
「科学」とは何か、
そして国民が身に付けるべき「科学力」とはどういうものであるか、
について徹底的に分析しています。



その最初の言葉にこう書いてあります。


(注意 これは、科学哲学の専門書ではありませんよ。
アメリカ国民がみ~んな身に付けなければならない、常識とされている言葉です。)


世界は理解可能です。
科学的認識は変化するものです。しかし
科学知識はすぐには使い物にならなくなったりしない。
科学は全ての問いに答えられるわけではない。



さらに、科学の性質として


科学は証拠を必要とします 。
科学は論理とイマジネーションの混合物です。
科学は説明と予測を与えてくれます。
科学は権威をかさにはきない。
科学は社会的なこと関連しています。



まるで、科学寅さんが、しゃべってるみたいですね。
すごいと思いませんか?



現状分析については、こう言っています。
生翻訳なんで、こなれてませんが、こらえてください。



我が国は科学技術分野における能力に(さらにはリーダーシップに)
国家の将来の幸福を意図的に賭けている。
従って、この注力が、現代的で確固とした基盤を持つ、
高い能力を持つ教師と管理者が配置された学校システムの形で現れることに期待するのは当然のことである。



ふむふむ、科学は大切だと。


ほとんどの小学校教師は、科学・数学に関する初歩的な教育すら受けていない。
そして中学、高校の理数科教師の多くは、
これらの分野で用意された合理的な基準を満たさない。




エ、そんなにヒドイの?


科学と数学の教師は、たとえ彼らの準備がどれだけ素晴らしかったとしても、
立派に務めを果たすことがほとんど不可能になるほどの壊滅的な授業負担を持つ。
この重荷は、彼らをバックアップする近代的なサポートシステムがほとんど存在しないことによって悪化している。
世界は21世紀に近づいているが、アメリカの学校は(人員、時間、テクノロジーの配備に関しては)未だ19世紀に止まり続けているように見える。



キビシイですね。


現在の科学の教科書と指導法は、
手助けからはほど遠く、
現に科学リテラシーに向かう進歩をしばしば妨げる。
疑問の探求よりも答えの習得を、
批判的な思考の代わりに記憶力を、
文脈理解の代わりに情報の断片を、
議論よりも暗唱を、
行動よりも読書を重視する。

学生の共同作業や、知識や情報の自由な共有や、
知力を広げるための最新の器具の使用を促すことができない。




理数科目における現在のカリキュラムは、詰め込み過ぎで栄養不足である。
これらのカリキュラムは数十年にわたってほとんど制限を受けずに肥大化し、
結果として教師と生徒を圧倒し、
どの科学、数学、テクノロジーが真に重要かを彼らが把握し続けることを困難にした。
いくつかのトピックは不必要な詳細にまでわたって何度も繰り返し教えられる。
その一方で、科学リテラシーと同等以上の重要性を持つトピック
(主に物理学や社会科学、テクノロジーに関するもの)は、
カリキュラムに存在しなかったり、ほんの少しの学生しか登録しなかったりする。




ん~、泣けます。


世界は特権階級のみならず、
あらゆる人々にとって科学リテラシーが必要となるように変化した。
そして科学教育は、これを可能にするために変わらなければならない。
我々は皆、教育における現在の嘆かわしい状況に責任がある。



そして提言として


学校がますます多くの内容を教えるよう依頼される必要はなく、
むしろ科学リテラシーに不可欠な内容に焦点をおき、
より効果的にそれを教えることが必要だということである。
したがって、一般的な学習の中核要素に関する評議会の提言は、
これを科学リテラシーに対して最大の科学的・教育的重要性を持つ考えや技術に限定することである。


と言っています。


日本の子どもたちこそ、将来直面する問題を考えると、
アメリカ人以上に科学リテラシーが必要ですよね。
改革を頑張りましょう。



2008.04.21.Mon





 一度も病気にかかったことのない子どもくらい、危険なことはないですよね。
免疫ができておらず、抵抗力が無いからです。
インフルエンザや伝染病の予防には、
適度にコントロールされた病原菌を意識的に植え付けます。


一度も切り傷やすり傷を負ったことの無い子も、
大きな問題を抱えるということも聞きました。
また、痛い思いをすることが、人の痛みを思いやれる原点だとも。
熱い体験も必要です。

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発達心理学でも、成功体験から得られる有能感と
失敗体験から出てくる劣等感の「バランスが大事だ」と教えています。

しかし、一般的には、「とにかく劣等感はゼロがよい(有能感百%がよい)」と
考えられているんじゃないでしょうか。



この宇宙は、免疫機構、いわゆる失敗をどうリカバリーするかで
成り立っていると言えるのではないでしょうか? 
そのためには、適度の失敗を早期に経験させることが、最も大切であり、
教育の重要な柱ではないかと思います。

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しかし、子ども会行事や、PTA行事などでは、
誰もが成功してめでたしめでたしになるプログラムばかりです。
塾の場合も、どの子も短期間で「成功」してもらわなくてはなりません。
誰でも、うちに来れば、ホイホイ成績が上がっていきますよ! というPRばかりです。


学校選びだってそうです。
人生のステップで失敗しないように、成功し続けるように、と。


しかし、人間ですから、いつかは失敗します。
小さいとき、失敗しなければ、大きくなってから。
大人になって、親の手出しができなくなってから。


『失敗』を恐れるのではなく、
『失敗』から学ぶことのできる人間を育てたいものです。
そのためには、小さいときから 子供に『失敗』をたくさんさせ、
『失敗』からどう立ち直り、そこから何を学ぶかを、
頭を通してではなく体験を通して、体得させるべきです。

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ではなぜ学校は成功ばかり追い求めるのでしょうか。
わたしは「カリキュラム」というコンセプト自体に
原因がひそんでいるんじゃないかと思います。



カリキュラムは「同一年齢の子どもに段階的な教材配列をすれば理想的な教育ができる」と考えます。
同じ年齢でもいろんな子どもがいることは無視して、
「この順番が一番」と決めてしまう。
カリキュラムは成功し続けることが正しいのです。



成功の階段(ステップ)を次々と登る子が理想です。
もちろん目の前の子どものようすを少し本気で観察すれば、成功ばかりではないことはわかります。
カリキュラムの問題点は、「失敗からどう学ぶか」の発想が欠けているところにあります。「成功する子が正しい」のです。
また、正しいカリキュラムなのです。

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まずは、親や教師が、失敗をいっぱいしてみせましょう。
そうして、そこからリカバリーする姿を見せてやりましょう。
これは、大人が常に挑戦している姿を見せることでもありますね。


2008.04.20.Sun







本当の実力のある科学者の実像は、どんなものだと思いますか?


きっと研究や勉強の話ばかりで堅い人たちだと思われるかもしれません。
しかし、少なくとも、ファインマンさんは違います。
彼は、イタズラをやり続けた人だ、と言えると思います。

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「ご冗談でしょう、ファインマンさん」〈上・下〉 (岩波現代文庫) (文庫)



R.P.ファインマンは1965年にJ.S.シュウィンガー、朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を授賞した天才的な物理学者です。


この本は、R.P.ファインマンという人生を楽しむ天才から我々への贈りものです。



自分の興味あるものに取り組み、自分の生きたいように生きた人だと感じられます。
人生を本当に楽しんだ人だと言えるでしょう。
私の人生もかくありたい、と思わされます。

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「これからはそれこそ娯楽のために、『アラビアンナイト』を読む調子で気の向いたときにその価値なんぞぜんぜん考えずに、ただ物理で遊ぶことにしよう。」
著者がノーベル賞をもらう発見をしたのはこの後のことです。



私たちが、「努力」とよんで歯を食いしばってやることを、
難しい面倒だといってあきらめてしまうことを、
この人は眼をきらきらさせて、おもしろい!といって、笑いながらやってのけます。

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学習論としても、ハッとすることを気づかせてくれます。


物事は暗記ではなく、理解することによって学ぶこと。
人がどう思おうと、ちっとも構わないということ。
驚異の心をもたない人間は、消えたろうそくも同然だ、ということ。
とにかく何かにアッと驚き、なぜだろう?と考える心を失わないこと。
そして、いいかげんな答えでは満足せず、納得がいくまで追求すること。
さらに、わからなければわからないと、正直に認めること。



まとめると、
・実例の大事さ(現実にありえない例はムダ)
・暗記ではなく内容を理解すること
・質問すること
と言えるでしょう。



もちろん、知的好奇心を持つということは、チンケな超常現象に対して
無条件に、かたっぱしから、「心を開く」ことではなく、
事実へ対する愚直なほどの誠実さ-科学的懐疑精神-によってこそ、
本当に価値をもつのだ、ということも言っています。

科学講座039


彼はいつも言います。
「ファインマンと聞いたとたんに思い出してもらいたいのは、
ノーベル賞をもらったことでもなければ、理論物理学者であったことでもなく、
ボンゴドラムでもマンハッタン計画でもない。
僕が好奇心でいっぱいの人間であったということ、それだけだ」



「なぜだろう?」といつも好奇心いっぱいの子どものように世界を見て、
いったん好奇心をひかれたらそれに夢中になり納得のいくまで追求する。



一切の虚飾と権威を嫌い、
相手がそれをかさに着ているとみるや容赦しませんでした。
それは、そのような態度が、
楽しいはずの真実の探求を邪魔する厄介なものだったからです。



まさに、学校教育が、科学的精神の育成を妨害していることを
鋭く突いています。



ブラジルの国立研究所に滞在した彼は
「教科書を丸暗記するだけ」の物理の大学教育に業を煮やし、
ブラジルの「お偉方」の大学教授たちの前で
「この国では科学教育が行われていない」と言い放ちます。




またあるときは、学校教科書の選定委員としてすべての教科書に目を通し、
教科書の内容が科学的誠実さを欠いているのを真剣に怒り、
他の委員たちと闘ったりします。

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「諸君に第一に気をつけてほしいのは、決して自分で自分を欺かぬということです。
己れというものは一番だましやすいものですから、くれぐれも気をつけていただきたい。」
科学者という職業がどんなものかを教えてくれる一冊。




自分の将来に興味を持ち始めた子どもたちに、
学校で教えてくれる科学の世界とはずいぶん違う世界を垣間見せてくれる
寅さんオススメ、一等賞の本です。
現代の「ろうそくの科学」かもしれません。





2008.04.19.Sat







科学って、本当は「学力向上」とは関係ないんです。
知識を覚えることでもないのです。
もちろん、技術を覚えることでもありません。


じゃあ、何をするの?
この世界に対して、問いかけること。
そこで見つけた法則を使うと、
未知の現象を正しく予言できるようになる
魔法使いのような感激を味わうこと。


もう一つ、大切なこと。
この世の法則は多数決では決まらないことを実感すること。
どんなにアホな意見でも、素朴な疑問でも、
安心して発言できるって体験をしたことがありますか?
きっと勉強嫌いな子でも
「学問の楽しさって、本当は、こうだったんだあ。」って
なってくれるでしょう。


そして、意見の違う
ちょっと変わった友達こそ、お宝だと実感するでしょう。


科学は、人と人とをつなげるもの。
そして、子どもたちは、「つながる」ことが無条件に大好きなんですね。
だから、子どもたちは、科学が好きだとも言えます。


子どもたちは、本当に尊敬に値します。
だって、子どもたちは、いつも本質を観るからです。
決して派手な演出にだまされません。


そうではなくて、世界観をくつがえすようなこと、
少なくとも、常識を揺さぶるエネルギーをもったものを求めています。
それは、いわば哲学を広げたり、深めたりするもののことです。


子どもが求めているもの
それは、自分の世界に、新しい光を与えてくれるものなのです。





2008.04.18.Fri







寅さんは、いわゆる扱いにくい子、と

ずいぶんつきあってきたと思います。

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大人の側が勝手に期待する、

「枠組み」に入りたがらない子とも言えるでしょう。



こういう子に対して、私は、当初は、

何か、面白いものを見せたり、

面白い話をしたり、

さらには、ビックリさせれば、こっちのものだろう、

と思って、そういう方面に力を入れたものです。

科学実験も、実は、その発想の延長でありました。

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でも、その「仮説」は、すぐに間違いだということがわかりました。

どんなに自信作を提示しても、

こちらの言葉自体が、全然、入っていかないケースがずいぶんあるんです。



せっかくの寅さんの、「珠玉の問いかけ」が、

むなしく墜落していきます。



試行錯誤の末、血の涙の末、寅さんは、

いつの間にか、どんな子にも効く、

特に初対面の子と、とにかくコミュニケーションがとれる

必殺技を発見するのです!!!

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それが、・・・・・・ それは、ジャーン、「同調」です。

いわゆるオウム返しです。

(なあんだ、ですよね)



でも、同じ言葉を返すだけじゃありません。

同じ行動をします。

まるで鏡のように。



同じ視線で、同じものを見ます。

同じ表情をします。

同じ呼吸をします。

そして、同じ感情を味わいます。



そうすると、必ず、不思議なことに、心を徐々に開いてくれます。

そして、こちらを意識してくれるようになります。

同調してくれる人がいることは、とっても心地よいものだから、

その快感にはまると、今度は、向こうから、同調しだします。

こちらが、ちょっと違ったことをしてみます。

すると、子どもが合わせてくるようになります。



そうなったら、はじめて、こちらが用意した

問いかけや、仕掛けが、意味をもってくるのです。

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ほとんどの場合、学校では、一方的に

子ども達に対して、問いかけます。

指示を出します。



それって、深層心理的には、相手を信用していない、

相手を非難することと同じようです。



考えてもみてください。

大人同士だったら、まず、お茶のみ話、世間話でもしてから、

「ところで、実は~」と入ります。



会話の基本は、キャッチボールと言われますが、

ホントの基本は、キャッチです。

ピッチャーではなく、キャッチャーの立場に常に身を置くことです。

自分から、勝手に話題を振らないで、

相手から話題をふってもらうというスタンスです。



キャッチャーは、返球のとき、

ピッチャーよりも速い球で、全力投球などしません。

ピッチャーが、きちんと取りやすく返すことが目的だから。

キャッチャーは、投げることが目的ではないのです。



教師、キャッチャー論に立ってみると、

子どもが急に生き生きとしてきますよ。


2008.04.17.Thu







一生懸命取り組んでいるはずなのに、どうも子どもとの関係がうまくいかない。
父母とのつながりをどうしたらつくれるのだろうか。
そんな悩みをもち苦労している先生たち。



子どもの指導に自信を失い、
教師の仕事を続けようか辞めようかと苦悩されている教師の方が、
フーテンの科学寅さんの周囲にも、結構いらっしゃいます。




多動傾向の子がいるクラス。
「めんどうくせー」「やりたくねー」を連発する子たち。



いま教育という仕事に情熱を捧げようと教師になった若い方々が、
授業が成立しなかったり、
「子どもの荒れ」や指導の困難に直面したりして、
教育現場を去ってしまうといった悲しい状況が続いています。


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「夢かない2ヶ月/教師は命を絶った」との見出しで,
昨年の10月の朝日新聞は,自ら命を絶った新任教師のことを報じました。



記事は,

「両親や学校関係者に取材すると,同教師に対する校内での支援が十分といえない中で,仕事に追われ保護者からの苦情に悩んでいた姿が見えてくる」とあり,


両親の

「若い先生方への心身へのサポート体制を作っていただきたい。そして,若い先生方にいつまでも夢を追い続けていただきたいとの一念です」

という言葉で締めくくられていました。



教師力への批判が、世にはいっぱいありますが、だったら、教師へのサポート体制は、どうなってるんでしょう?

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ベテランの教師の悩みも深いのですが、とりあえず新任の先生のことを考えてみます。



もちろん、新任教員研修は、どの県でも、しっかりあります。
しかし、これは、建物で言えば、鉄骨の基本設計の説明みたいなものじゃ
ないのかな?
(私は、参加したことも無いのでわかりませんが)
現実に、こう悩みが絶えないのですから。



やはり、基本は、現場でのOJTでしょう。

新任の教師に近いところから考えて見るならば,
指導教師が最も近くにいて,
次は学年主任,そして教務主任・生活(徒)指導主任になり,
教頭及び校長となります。



この組織がばらばらに対応していたのでは,効果が期待できません。
校長が委員長となり組織的に対応することで強力なサポート体制ができます。



新任教師の授業などを毎日見守る役目は指導教師です。
この先生の力量に追うところが、実際多いわけです。


1週間に数回程度見守るのは,
学年主任や主幹・教頭・校長です。
定期的(または適宜)に会合を開き連絡を密にします。



保護者からの苦情,指導が困難な児童のこと,
学級経営や授業研究など,
どの角度から光をあてるかによって、
全然文脈が変わります。



ぜひ、保護者からの苦情など困難な件については,
担任任せにせず、校長や副校長が引き取り解決する姿勢を見せてほしいと思います。



要は,新任教師が困難を乗り越えて,やがて1人前になるようなサポート体制がある学校です。





書店の教育書コーナーに行くと、学級経営に関する本がどっさり並んでいます。


子どもたちと信頼しあえる学級をつくりたい、
子どもたちがお互いに支え合いみんなで励まし合って生活できる学級にしていきたい。



そんな教師たちの願いが、学級経営や生活指導に関する本の多さにも反映されているのだと思います。



同時に「学級崩壊」や「いじめ」などをはじめ、
子どもたちの指導に困難を抱えている教師が、
実に多いことも示しているように感じられます。

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しかし、こういう調査結果があります。

第4回学習指導基本調査では、
小学校の教員に対して各教科や領域の指導が得意かどうかを聞いています。
その結果からは、次のようなことが注目されます。
(ベネッセの分析より)



(1)どの教科・領域についても指導を「得意」とする小学校教員の割合は多くない

「得意」の割合は、算数を除けば、どの教科・領域も1割に達していません。
「どちらかというと得意」を加えれば、算数と国語は半数を超えますが、
他の教科や領域は5割以下にとどまっています。



(2)算数の指導を得意とするものは、他の教科や領域と比べて多い

算数の指導について「得意」が19.6%、「どちらかというと得意」が66.4%で、
あわせて86.0%になります。
ドリル演習など、ある程度、指導方法が確立しやすいという面があるのかもしれません。




(3)特に、理科・社会・総合的な学習の時間を苦手とする教員が半数前後になる。

「苦手」と「どちらかというと苦手」をあわせて、割合が多い順に、総合的な学習の時間が57.8%、社会が50.2%、理科が49.5%です。
これらの教科・領域は豊富な知識や経験が必要で、活動を伴うことが影響しているのかもしれません。



こうした割合をどうとらえるか(多い、少ないなど)は、比較するものがありませんので、ある程度、主観的な判断になります。


しかし、仮に国語・社会・算数・理科が「得意」と答えた教員の重なりがないとして、
これらの割合を足しても4割強にとどまっています。


つまり、この4教科のどれも「得意」と答えなかった教員が少なくとも5割以上いることになります。


教員が子どもに学習を指導する職業であることを考えると、
ここに、深い問題が隠れているのではないでしょうか?


つまり、自信が無い安感が、生徒をコントロールする方向に向かわせていき、
その結果、さらに悪いスパイラルに落ち込んでいるのではないか、と。


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では、どうやって自信をつければいいんでしょう。授業技術を学ぶことなんでしょうか?

たしかにそうです。
しかし、それに、好奇心という魔法の原理をつかめば、
効果は、100倍です。


そのためには、まず人が認識をするとはどういうことか、
学習するとはどういうことか、をわかっておく必要があります。


指導技術がないからだと思っていたけど、そうではなく、

学ぶこと、生きることに対する哲学の問題なんだ、

ってことに気がついて欲しいと、ぜひ、ぜひ、思っています。



じゃ、哲学って、何なんだ?

ヘーゲル、カントでもやらなくちゃならないの?

いえいえ、そうじゃないんです。

ちょっとアタマを使ってみるだけなんです。

しかも、自分のアタマを。





ほんのちょっとした視点・発想のちがいで、実践はまるでちがったものになります。


今まで困難だと思っていたことが、ちがって見えてきます。


自然と気持ちも楽になり、子どもと教師の関係もよくなっていきます。



教師は、たいへんです。

一般労働者と同じには、到底考えられません。

しかし、それだけに教師冥利と言う言葉があります。


あの先生の授業、あの一言が、私を支えてくれた!

ってことを言われたときなんかそうじゃないでしょうか?


 
 教師の子どもたちに与える影響は計り知れません。


授業をはじめ多くの場面での教師の言動から,
子どもはいろんなことを感じ,学び取っていくのです。


「教師の一言が子どもの生き方を決める」という言葉は、
決して放言でもなければ妄言でもありません。


だからこそ不断の自己研鑽が求められるのであり,
そこに教師としてのやりがいも生まれるのでしょう。



本当は、数十年現場で奮闘しても、つかめない
子どもを惹きつける授業の極意、
すなわち好奇心の魔法を、
その日から使えるように、
お届けします。


きっと、とんでもなく、幸せな人生が開けると思いますよ。


自己紹介は、後ほど。




2008.04.16.Wed







学校の先生にとっては、当たり前すぎて、わからないかもしれませんが、
科学寅さんが、こんなことをしているのは、
ある麻薬のせいです。

科学実験教室などを通して、私は、とてつもなくハイになります。
構想を練っているとき、打合せをしているとき、本番、そして
子どもたちの感想、最後にトドメの感想文。

涙が止まらなくなることもあります。
こんな自分でも、生きていて良かったんだ。
意味があるんだ、と肌で実感できる瞬間です。
もう、死んでもいい、とさえ思うことがあります。


会社をやめて、はじめたばかりの頃、
ある小さな小学校からの感想文が、とてつもなく心を揺さぶりました。

普通、感想文はお義理で書くものですが、先生のご指導が良いのでしょう。実にのびやかに、私への気持ちが綴られていました。
私への気遣いも、いっぱいありました。

ぜひ、弟子になりたい、はてなランドに通いたい、というのです。
真剣な訴えが3人以上ありました。
でも、そこは、小学生が通える距離ではありません。

 私は、次の瞬間、その感想文を握りしめて、
その学校の隣にある、地区公民館に車を飛ばしていました。
そして、職員にこの感想文を見せて、
この子らのために、費用はすべて私が出すから、講座を開かせてくれ、と頼みました。

 と、何と、その公民館では、ちょうど少年教室の企画をしなければならなかったということで、あっという間に、年4回の公民館主催の講座のプランができたのです。

私は、今度はその計画をひっさげて、学校に挨拶に行きました。
そして、どうぞどうぞ、と勧められるままに、授業に乱入し、
またまた交流をもってしまいました。

結局、全校生徒160名くらいの学校から、
多いときは、80名以上の参加で、休日の課外授業をすることができました。
これまた、私一人では対応しきれないので、
地域の多くの方にアシスタントをお願いしたくらいです。


学校の先生は、雑務が多すぎて、この感激に浸ることが
なかなかできません。
でも、大なり小なり、みんな麻薬患者。
子どもの笑顔という薬。


この薬から目を背けている先生をみると
何て、もったいないことを、と思ってしまうのです。


2008.04.15.Tue






筋肉は第二の頭脳と言われているように、
身体の感覚の発達は、知能にも大きな影響を与えるようです。


平衡感覚が苦手な子は、算数・数学がまず苦手のようです。
片足立ちで、目を閉じて、何秒立っていられるか、
お子さんを計ってみてください。
すぐグラグラ・バタッという子は、まず、算数が苦手でしょう。
うちの末娘もそうです。


数学は等式で結ぶのが基本です。
これは、平衡状態をつくることですから、
その感覚がニブイと、理解がすすまないようです。
知的なものも、脳の奥の根本的な感覚機能に支えられているようです。


平衡感覚は、訓練で向上させることができます。
平均台のようなことをすればいいのですが、
空き缶を地面に点々と置いて、その上を渡るなんてのも有効です。


また、味覚臭覚と社会性の関連も言われています。


いろんな味を受け入れることが、多様性を受け入れる土壌になるのだそうです。
一週間、マックだけを食べさせると、人付き合いも偏食になってしまうということです。
よく、国際理解は国際的な食事から、と言われる所以ですね。
臭覚・味覚は、脳の一番奥にある生命の根元につながる部分ですから、本当に真剣に偏食を直すように、指導したいものです。


それから、聴覚・触覚もとても大事なのですが、これらにつては、後ほど。


ともかく、学力を育てるのは、実は、小さいときからの身体を使った遊びや芸術なんです。じっとしてペーパーに向かわせているよりも、特に小さいときは(大きくなってからも)、のびのびと身体を使った自然な遊びを十分にさせたいのもです。




2008.04.13.Sun






大勢の子どもを相手に実験授業をさせてもらっています。
学校の強制力の効かない
異年齢で、しかもはじめて集まったばかりの子を惹きつけるのは、
腕が本当に試されるところです。
 

「はーい、こっちを向いて」「お話しやめて」「静かに!!!」
いくら叫んでも、ムダです。

たとえ、強制的に静かにできたところで、
子どもたちは、机に顔を伏せたり、隠しもってきたゲームを始めたり。


私は、無理に静かにさせません。(状況にもよりますが)
司会者にガヤガヤしたままで、
挨拶なしで私に登場させてください。と頼みます。


そして、とっておきの面白いネタを、
最初に波長の合った子とだけで、始めちゃうんです。


子どもは、すばらしい探知能力をもっているんです。
面白そうなことが今、起きているということに。
密の在処を嗅ぎ分けるミツバチのようです。

ワーッとみ~んな寄ってきて、押し合いへし合いになります。


そこで、はじめて、みんなに語りかけます。
「みんなもやってみたい?」「そう、それなら、みんなできるようにするから、
一度席についてね」
もう、こっちのペースです。


授業中も、一人の子と深く語り合います。
本人も気づかなかった心の内を引き出すように。

すると、他の子どもたちも、自分の気持ちが引き出されているように、
共感を受けるのでしょう。集中力を増してくれるのです。


とにかく、論理ではない、子どもの気持ちの先と揺れを読めるかどうかにかかっています。

そのためには、「こうあらねばならない」を心から取り去って、
子どもの気持ちの流れを無条件で褒め称えるべきだと思います。
倫理的にはどうであれ、気持ちは受け入れるのです。
それでこそ、信頼関係が生まれます。


信頼関係こそが、子どものホンネを引き出し、深い交流をもてる絶対条件です。

短時間に全員とは無理です。一人でいいのです。
その様子を見て、「この先生は話せる」とわかれば、
他の子も、心を開いてくれるのです。

心が開けば、そこにこちらの意図することを入れてあげることは、容易です。

それでも、歩き回る子はいます。
そういう子は、言っても仕方がないのですから、放っておいて、
誰かに危険だけないように見守ってもらっておきます。
ただ、そういう子も、別な事をしながらも、すごい聞き耳を立てているのです。
自分も参加できる場面になると、
すっと戻ってきます。
そのときのために、戻ってこれる条件だけは残しておいてあげなければなりません。

全然、混じらなかった子が、後から、授業の内容について、鋭いコメントをくれたりすることがあります。

要は、子どもは、(少なくとも小学生は)アタマでは行動しない生物なんだ、
ということです。
理屈で統制できないのです。
そうではなく、感情・意欲そのものを提示して、それに注目させるのです。

これは、手段としても有効ですが、実は、それ以上に、この時期の教育の目的とも一致しています。
小学時代は、感情・意欲を働かせる脳みそを育成する期間だからです。
十分に感情をトレーニングしてやらなければいけません。


我が子を本好きに育てるのも、同じ手段を使っています。
子どもに呼びかけられたとき、わざと、
「もうちょっと待って、ここだけ読んだら行くから」と、
本を夢中になってよんでいる姿を見せ、
そして、読みかけの本をその辺に置いておくのです。
いつか、必ず、食いついてきます。

夫婦で新聞記事を前に、いろいろ話し合う姿を見せるっていうのも、
とっても効きますよ。



2008.04.12.Sat






気分屋というと、悪いイメージですが、
「気分」という環境条件はとっても大事なことだと思います。


「やる気の脳」は、そもそもは「快感の神経」といわれるA10神経によって駆動されます。
そして快感と目的意識がセットになり、
互いに相乗効果を生み出しながら、
脳全体の連係プレーをコントロールして、目的を達成していこうとするのです。
 
苦痛を伴う「やる気」は、本来のあるべき姿ではないのです。
何よりも楽しそうなこと、
おもしろそうなこと、
ぜひやってみたい、チャレンジしてみたい、
と強く望むものだけが「やる気の脳」に届くのです。


そして、同じ課題を見ても、「面白そう」と見えるか、
「苦痛な課題」に見えるかは、
そのときの気分によるところが大きいのです。


こどもたちが、休み時間に校庭に飛び出して遊ぶドッジボールにしても、見る角度を変えれば、ボールをぶつけあう、苦行そのものです。
作文や絵も、気分がよければ、どんどんはかどりますが、悪ければ、地獄の時間です。


私が参考にしているのは、デズニーランドの中の何気ない小物です。

60分待ちなど、とんでもない苦行を強いているにも関わらず、行列そのものを楽しみの一つに変えているのは、立っている間に目に留まる小物の数々です。

大きな演出でなくて良いのです。
かえって、ほんの小さな小物の中に込められた、
意外なメッセージに感激を覚えるものです。
小さなものにこそ、オセロゲームのように、
全体の気分を一気に白黒反転させる秘訣があります。

クスっと笑うものがいいですね。
私の家では、トイレに「笑える言葉あそび」の文例を小さく貼っています。

これで、スムーズに出るべきモノも出るというものです。
面白がって、なかなかトイレから出てこないことも。
でも、そのあとの表情は確実に柔らかくなっています。

子どもたちの笑顔の写真も効果大です。
それを見るたびに、子どもたちは(もちろん私も)
楽しかった瞬間をフラッシュバックさせるのです。


人間は思いだしただけで、カラダの反応は、その当時のものになります。
夫婦関係をギリギリで支えるのも、一枚の写真だったりして…。


授業中にも、ほんのちょっとでも、予期せぬ小道具が登場すると、
一気にボルテージが上がります。


パッチアダムスのように、もしもですよ、診察室に入ってお医者さんを見たら、ピエロの鼻をつけていたらどうします? 
どれほど患者さん救われるでしょうか。
雰囲気変わるってもんじゃないですよね。
痛さが一気に吹き飛んでしまいます。




2008.04.11.Fri






ある教え子を、駅まで迎えにいきました。

ちょっと私が遅れたせいか、彼(小4)がいません。
そしたら、KIOSKの中で、
女の子と科学談義をしているではありませんか!

何を話しているのかと聞き耳を立てたら、
先月やった「ころりん」の問題です。
シーチキンの缶とカンコーヒー、
どっちが先に斜面を転がり落ちるか、
という実験の予想です。

彼に聞いたら、はじめて電車で会った子だそうです。
最後に彼女と握手までして別れてました。

いやー、楽しい実験は、ガールハントにも使えるんですね


2008.04.10.Thu







「シュタイナー学校の算数の時間」(エルンスト・シューベルト氏)という本には、親や先生を対象とした上手な最初の算数の授業の作り方が書かれています。

とにかく、ゆっくりと慎重にすすんでいくんです。
数の概念がカラダに定着するまで、何度も繰り返されるのです。

そして、特徴的なのは、加減乗除の4つの計算の基本を、
「分ける」という行為に根本的に基づいていることを、
カラダで理解させることです。

担任の先生は、足し算の場合、
まずクラスの子供たちに12個の栗を渡し、
次のように分けることから計算をはじめます。

12=4+3+2+…

全体としての栗を12個もっているところから、まずはじまり、
それをいろんな方法で分けていくのです。
まったく何もないところから、6が来て、2が来て、3が来て、1が来ると、全部でいくつになるかを尋ねる計算の仕方とは、イメージが全然違います。人間の生き方の違いとさえ、言えます。

人間として生まれた自分は、もうすでにたくさんの恵みをもらって生きている。だから、自分以外の人や世界とたくさんのものを分かち合いたいという心の在り方と、自分は何ももっていないから誰かからもらってドンドン増やして行かなければならないという心の在り方は、子供の無意識の心の在り方に大きく影響するはずです。

ですから、最初は小さな数からはじまり、だんだん数が大きくなるような計算はしないのです。

さらに、分けていく計算には、利点があります。
答えがいろいろありうるということです。

4=3+1も 4=2+2も 4=5-1も みんな正解です。しかも、それぞれ
意味をもっているということです。ですから、算数が苦手な子は苦手なりに、得意な子は得意なりに、精一杯いろんなことを考えられるのです。

算数から、人生を語る授業ってステキだと思いませんか?



2008.04.09.Wed







大人になって、振り返ってみて、
教えられた教科書の内容は忘れても、
先生の人柄だけは、しっかり焼き付いていると思います。
そして、そのイメージが子供の人間理解・社会の理解にどれほど大きな影響力をもって、人生を歩ませているかは、
冷静に考えれば、とっても恐ろしいことです。


相手からのメッセージの意味の大半は、
言葉以外から受け取ります。
同じ言葉でも、表情一つで意味は全く逆になります。


こんなエピソードをご存知ですか?
ある劇作家と声優が、レストランで仲間たちと食事中、
観客を感動させるのは、ストーリーか声かで議論を始めたのです。
声優は、ストーリーがさほど面白くなくても、声で観客の心を動かせると主張し、
劇作家はどんな声を出しても、場面や状況がしっかり設定されていなければ、
観客を感動させることはできないと反論しました。

すると、ある声優が
「ここにあるメニューを読むだけで、人を泣かせることもできますよ」と言い出して、
じっさいにメニューの「朗読」を始めたのです。

「サラダ、グリーンサラダ、500円、シーザーサラダ、800円、大根とジャコのシャキシャキサラダ、700円…」といった調子で読み進むと、
何と聞いている人には、本当に涙を流す人まで現れたのです。

朗読に、「深い悲しみ」が含まれていれば、
もしかすると聞き手の過去の思い出、
たとえばレストランでバイトしていた時代のつらい体験記憶を呼び覚ましたのかもしれません。

まして、子供相手でしたら、
声の調子、表情、身振り手振り、瞳の大きさは、
言葉そのものの意味よりも重要です。

その意味でも、ある医学の先生は、
大学の先生よりも、高校の先生、高校よりも中学校、中学校よりも小学校、小学校よりも幼稚園・保育所の保母さんこそが、
高い給料をもらうべきだと主張されています。

いい表現能力を身につけるには、内面の育成管理が欠かせないからです。



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